- 2008年企画展 -
10:30AM-7:00PM
(火曜休廊)

<久保貞次郎版画コレクションから・2008年画廊企画PART7>

久保貞次郎が愛した作家達・展

靉嘔・池田満寿夫・泉 茂・オノサトトシノブ・木村利三郎・関根伸夫・元永定正

2008年9月27日[土]-10月5日[日](火曜休廊)
AM10:30-PM7:00

町田市国際版画美術館の初代館長であり、美術評論家であった久保貞次郎氏の貴重な版画コレクションの一部による作品展を開催致します。本展では、靉嘔・池田満寿夫・泉 茂・オノサトトシノブ・木村利三郎・関根伸夫・元永定正等、日本の一時代を築き上げ世界的な作家たちとなった7人の版画による作品、約30点をご覧頂きます。作品の中には1956年ごろに制作された池田満寿夫の初期作品などの珍しい作品等も展示いたします。
  
久保貞次郎

美術評論家、児童画教育運動のリーダーであり、跡見女子短大学長、東京・町田市立国際版画美術館の初代館長などを歴任し日本の美術界に大きな足跡を残す。 代表的な著作集として「久保貞次郎・美術の世界」全12巻がある。

北川民次や瑛九の支持者として、更には戦後の前衛美術運動の若い作家たちの援助者として自ら版元となり版画を発行。北川民次や瑛九の他、恩地孝四郎、池田満寿夫、靉嘔、泉茂、竹田鎮三郎、木村利三郎ら現代版画の歴史で無視することのできない作家達を見出した。また、[具体]や[もの派]の作家たちへ版画を制作することを勧め、版画の地位確立に大きく寄与する。
また本県の代表的な財界人であり、芸術文化の牽引者であった井上房一郎氏とも親交が厚かった。1996年10月31日、87歳で東京にて逝去する。

靉嘔 Ay-O
1931年茨城県生まれ。本名・飯島孝雄。54年東京教育大学卒。53年瑛九らが設立するデモクラート美術家協会に参加。55年池田満寿夫らと[実在者]を結成。58年渡米、以後ニューヨークと日本で活躍。62年ハプニングを中心とする前衛芸術グループ[フルクサス]に参加。71年のサンパウロ・ビエンナーレはじめ各国際展で次々と受賞。全ての物体、イメージを虹色で分解し再構築した虹の作品で世界的な評価を受ける。
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
1912年長野県生まれ。その後群馬県桐生に移り住む。本名・小野里利信。津田青楓洋画塾に学ぶ。35年黒色洋画展を結成。38年自由美術家協会会員となる(〜56年、以後無所属)。41年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国後は桐生のアトリエでひたすら円を描き続けた。64年・66年にはヴェネツイア・ビエンナーレに日本代表として出品。戦前、戦後と親友の瑛九とともに前衛美術の道を歩み続けた。86年永逝
関根伸夫 Nobuo SEKINE
1942年埼玉県生まれ。68年多摩美術大学大学院油画研究科卒業。同大学で斉藤義重に師事。第8回現代美術展、神戸須磨離宮公園現代彫刻展、第5回長岡現代美術館賞展などで次々と受賞。美術界に旋風を巻き起こす。日本発の現代美術ムーブメント[もの派]を代表する作家として活躍する。70年ヴェネツイア・ビエンナーレ出品。73年環境美術研究所設立。78年デンマーク・ルイジアナ美術館他でヨーロッパ巡回展を開催。
元永定正 Sadamasa MOTONAGA
1922年三重県生まれ。県立上野商業学校卒。55年関西を拠点にする[具体美術協会]に参加、吉原治良に師事する。絵具のたらし込みなど流動感ある絵画によって、折から世界を席巻したアンフォルメルの画家として一躍注目を浴びる。64年現代日本美術展で受賞したのをはじめ、各種国際展などで活躍。83年には日本芸術大賞を受賞し、名実共に日本を代表する抽象画家としての地位を確立した。
池田満寿夫 Masuo IKEDA
1934年、旧満州国奉天市に生れ。終戦に帰国。19歳出始めて自由美術協会に入選。その後、画家・瑛九のすすめで色彩銅版画をはじめる。1962年第3回東京国際版画ビエンナーレ展で〔東京都知事賞受賞〕。第4回展では国際審査員ウィリアム・S・リーバーマンに認められて〔国立近代美術館賞を受賞〕1965年ニューヨーク近代美術館で日本人初の個展開催。1966年32歳でヴェネツイア・ビエンナーレにて国際版画大賞を受賞。『エーゲ海に捧ぐ』で〔芥川賞受賞〕。永逝。
泉茂 Shigeru IZUMI
1922年大阪府に生まれる。1939年大阪市立工芸学校卒業。1945年第1回汎美術家協会展で受賞。1951年、瑛九や早川良雄らとデモクラート美術家協会を結成。1953年からエッチング、55年からリトグラフを始めた。1957年第1回東京国際版画ビエンナーレ展で新人賞を受賞。1959年からはニューヨーク1963年からはパリに移住、活発な活動を続ける。1968年に帰国大阪芸術大学教授として後進の指導にもあたり同大学名誉教授。95年永逝。
木村利三郎 Risaburou KIMURA
1924年神奈川県生まれ。神奈川師範(現・横浜国大)卒業。戦後、法政大学哲学科で美学を学び、谷川徹三の教えを受ける。美術評論家を目指したが、デッサンをかじるうち創作の道へ。1964年、39歳で渡米、現在もニューヨークで創作活動を展開。作品は ニューヨーク近代美術館、東京国立近代美術館、町田市国際版画美術館などに収蔵され、大都市の創造・崩壊・再生をテーマに独自の文明批判を展開している。